再開院3周年
先日平成27年11月13日、岡本整骨院・鍼灸院は皆様のお陰をもちまして再開院3周年を迎え、毎日お子様からご年配の患者様方の明るい話し声、職員の活気ある声の飛び交う明るく賑やかな整骨院を再構築することができました。 皆様には心より感謝しております。ありがとうございます。8年前の平成19年11月13日、父が逝去した朝、亡き父の手を握り「岡本整骨院をもう一度必ず、父が逝去する前の活気ある整骨院に戻す」と心に誓いました。
そうは誓ったものの、当時の私はまだ臨床経験が浅く、更に名古屋に住んでいたため、すぐには和歌山に戻れず、人材も居なかったので、とても整骨院を再開院できる状況ではありませんでした。
自分の知識、経験、技術に自信がつくまでは絶対に岡本整骨院には戻らないと決め、それからは速く多くの経験を的確に要領よく積むことを自己の課題とし、「石の上にも三年」では甘い、「剣山の上にも三年」のつもりで自分を精神的にも追い込みました。数々のクリニックに無理を言って雇って頂き、経験を積ませて頂きました。初任給は1万円でした。それでも経験が浅い自分が悪いのだと素直に思えました。当時地元で絶大な信頼を得ていた父の後を継ぐことはとても容易なことではないと思っていたからです。こんな自分に1万円も与えて頂いたと感謝しました。その初任給は今でも封筒に入れたまま大切に取ってあります。低賃金でもより速く目標を達成するためには仕方のないことと自分に言い聞かせました。結局は3年間ではまだ経験が足りず、丸5年間、日本の医師、診療放射線技師(レントゲン技師)、柔道整復師、鍼灸師の先生の元で修行させて頂き、更にはアメリカに単身渡米しロサンゼルスのクリニックでも経験を積ませて頂きました。5年間かかりましたが濃厚かつ充実した、させていただいた5年間でした。悠長にダラダラゆったりと受け身の姿勢で10年間修行している時間も余裕も無かったので、最強最速の道を進んだつもりです。当時わがままを聞いて頂き受け入れて頂いた先生方には今でも本当に頭が上がらないですし、今でも心から感謝の気持ちを忘れていません。本当にありがとうございました。
知識、経験、技術に自信をつけ、岡本整骨院に帰還、、、
3年前の平成24年11月13日、再開院日の朝、整骨院の玄関扉の前で「岡本整骨院をもう一度必ず、父が逝去する前の活気ある整骨院に戻す」と亡き父と自分の心にもう一度誓い、いざ再開院、、、
しかしその強い誓いと意気込みとは裏腹に再開院当初は患者様も少なく、来院人数が1日に3人の日もありました。すごく情けない気持ちと父と母、東京に住む姉に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
そんな中でも腐ることなく、「骨折も脱臼も捻挫も靭帯損傷も打撲も、急性外傷は何でも対応できる。エコーも診れる。外傷鑑別能力も身についている。ギプスも巻ける。包帯も巻ける。テーピングも巻ける。鍼も射てる。灸も据えられる。物理療法も最新技術。肩痛も腰痛も膝痛もどんな患者さんが来ても、親父を失った当時は何もできなかったけれど、今なら自信を持って対応できる!自分の積み上げてきた知識、経験、技術は間違いない!」と信じ、来院される目の前の患者様一人一人を大切に誠実に丁寧に診察、治療することに専念しよう。焦ることなく少しずつかもしれないけれど一歩一歩確実に父の時代の活気ある整骨院に戻していこうと自分に言い聞かせました。
その気持ちで臨む毎日の繰り返しが実を結んだのか3年経った今では駐車スペースが足りない、靴を脱ぐ隙間もない、あっという間に時間が過ぎ1日が終わる。気付けばMAX3年前(再開院時)の20倍以上に1日の来院人数が増え、いつの間にかあの頃の、親父が元気な頃の岡本整骨院の活気が今の岡本整骨院に戻っていました。
職員にも恵まれテキパキと受付、助手をこなしていく開院当時からの自慢の看板娘、2年目から来た当時テーピングも包帯も巻けなかった1番弟子も今では骨折、脱臼の整復も経験しギプスも真っ当に巻けるようになり、重症外傷の対応もしっかりできるようになりました。父の代から整骨院を支え続けてきた母も父の他界による8年前のやむを得ない廃業で当時はかなり悔しい思いをしたと思います。今では毎日充実しているようで楽しそうに事務長として仕事をしてくれています。
父を失って8年、父の跡目を継いで3年経った今、「岡本整骨院をもう一度必ず、父が逝去する前の活気ある整骨院に戻す」という目標をようやく達成することができました。
父が末期ガンで余命宣告を受けた事実を名古屋の電車の駅のホームで実家からの電話越しに聞きました。あまりの衝撃的事実にその瞬間から今に辿り着くまで長い間時間が止まっていたように感じます。当時自分に今の実力が備わっていたなら父も安心して余生を過ごせたはずです。逝去する間際まで「啓は俺無しで大丈夫かどうか心配だ」と話していたそうで、その話を後日母から聞いたとき、父から見た自分はひ弱で羽も生えていない雛鳥のようにしか見えていなかったのだと実感しました。
その話を聞いてからは親父から見てたくましく思われるように、上から安心して見ていられるように、あいつは根性が無いと思わせないようにと自分にあえて厳しい条件(以下)を課しました。
1、学生時代は成績は常に上位に入り続け、勉学で表彰状を頂きそれを父の仏壇に供えること 2、父が得意とした柔道を真面目に稽古し有段者(黒帯)になること 3、国家試験は合格基準点を目指すのではなく満点を目指し余裕を持って合格すること 4、勤務中は難しい症例があれば怖がらず自分が前に出て治療に関わること 5、どんなことでも良い経験ができるチャンスであれば考えずに即飛び込むこと 6、経験させていただく先生にお給料はいりませんと伝えること 7、やってもやらなくてもどちらでもいいときはやる方を選ぶこと 8、経験値を積みに行くときは移動距離は考えず遠くてもどこへでも行くこと 9、自信がつくまで絶対に再開院しないこと 10、再開院3年以内に親父が元気な頃の活気のある整骨院に戻すこと
父が他界して8年、条件全てクリアし、目標を達成したことを父の墓前に手を合わし報告しました。
本当にここまでやってきて良かったと心から思います。これもまた偏に皆様の応援、御指導、御鞭撻を頂いた賜物と心より感謝しています。本当にありがとうございます。 次は何を目標にしていくか、燃え尽き症候群になる間も無く水面下ではもう次の目標に向かって始動し始めています。今までは父や遺された家族の期待に応えるための目標、これからは公私共に自分の能力の限界突破を目標に日々チャレンジしていきます。まだ計画途中なので公にはしませんが、これからも患者様のために日々成長と努力を重ね、より良い医療を提供できるよう努めてまいることを約束致しますので今後ともどうぞ岡本整骨院・鍼灸院をよろしくお願い致します。
院長 岡本 啓
和歌山県海南市をはじめ和歌山市、有田市、その他にお住まいの方もケガやお身体の不調や交通事故でお悩みや相談など、ございましたら岡本整骨院・鍼灸院までどうぞ。
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